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第一綜合株式会社 唐仁原健太さん 【転職者インタビュー】



第一綜合株式会社 営業部長 唐仁原健太さん(37)

カッコいいこと、楽しいこと、やりがいのあることに重きを置いている唐仁原さん。現在は第一綜合で営業の仕事をしています。どういった経緯で「第一綜合」で働くようになったのか、またこれまでの経験をどう仕事に生かしているのかのお話を聞いてきました。


どんな子ども時代を過ごしていましたか?




僕は小学校の3年生まで子どもらしいことができませんでした。原因不明の難病で右足には常にギブスをつける必要があったからです。運動会にも出られませんでしたし、プールも入ることができなくて、制限のある毎日を過ごしていました。

ですが小学4年生になった時に、医者からは激しい運動は控えるようにとは言われたものの、ギブスを取ることができるようになり、他の同級生と同じように体育の授業を受けられるようになりました。それまでできなかった自転車に乗る練習をしたり、友だちに誘われて卓球クラブにも入りましたね。

元々身体を動かすのが好きなタイプでしたし、卓球ならそんなに激しい運動にはならないだろうと思ったんです。
4年生は卓球をしていたのですが、その頃はやっていた漫画の影響で、小学5年生からはバスケ部に入りました。この頃になると、身体を動かしていても問題が起きなかったので、だんだんと他の子たちと同じように思いっきり体を動かしていましたね。



中学校は中高一貫の私立に入りました。ここでもバスケットボール部に入ったのですが、中学校でのバスケは小学校の頃とは違い練習もきつく、1年で辞め、2年からは陸上部に入りましたが、そこもすぐにやめて結局帰宅部になりました。

学校は男子校だったので、遊ぶことが楽しくなってしまい、勉強を全くしないまま高校を卒業し、働きたくもなく勉強もしたくなかった僕は浪人生になることにしました。


浪人生の時はアルバイトをしていましたか?




はい、大森の駅ビルにあるイタリアンでアルバイトを始めました。初めは塾とアルバイトを両立させていたのですが、友だちは大学生になっていて遊びに行こうという連絡が来て、遊ぶことが楽しくなってしまったんです。気が付いたら、遊ぶためにアルバイトをして暮らすように…。浪人生なのに、勉強をしなくなったんです。それを見ていた父親から、半年たったころに呼び出されて浪人生失格だと言われ、大学進学をせず、働いていくことを決めました。

僕が飲食店で働くことを選んだのは、衣食住の中で「食」に当たる大切な要素で、将来的に必要なスキルが身につくと考えたためです。イタリアンのお店ではホールだけではなく、料理を作るのも覚えられたのが良かったんですよね。
その後、フリーターになってからは、ランチは五反田の駅ビルにある洋食店で掛け持ちをするようになりました。



ただ、大森のイタリアンが閉店になることが決まり、その後どうしようかなと思っていたら、そのお店で以前一緒に働いていた人が閉店前に食べに来たんです。その時に、その人に声をかけられ、僕はその人が蒲田でオープンさせたお店に行くことになりました。


その後も飲食店で仕事をしていたのでしょうか?




はい、そうですね。蒲田のお店では最初はアルバイトでしたが、契約社員、社員、最終的には新しく立ち上げた蒲田の2号店の店長までさせてもらいました。そこのお店は、地域密着型のお店で、最終的には5店舗まで増やしていたので、本当に好調だったんだと思いますね。

ただ、24歳になった頃、本当にこのままでいいのかと不安がよぎりました。仕事に対してマンネリ化していたのもあって、この頃、他で誘ってくれた飲食店があり転職をすることに。そこは原宿にあるお店で、蒲田のお店とは客単価も倍ぐらい違うところです。ホールスタッフも着ているものが全く違っていて、別世界でした。

僕はどこでも自由に働くことができると思っていましたが、原宿のお店は調理は専任の板前がいるのでその人たちがしますし、メニューは親方が決め、ドリンクは女将さんが決める。僕はと言えばホールで活躍するしかありません。
蒲田のお店ではメニューも仕入れも、ドリンクも自分で決めていましたが、それができなくなり、前の会社が恋しくなったんです。そんな時、蒲田のお店の上司から連絡をもらって、「じゃあ、帰って来れば」と言ってくれました。それがすごく嬉しかったんですよね。

他の店に行って初めて気づいたんですが、環境が変わっても自分が変わらなければ何も変わらないし、お店によっては働き手みんなで頑張るという一体感を得ることも難しい。そしてそれができるのは蒲田のお店なんだということ。
原宿のお店は1年だけ勤めて、その後蒲田のお店の副社長に頭を下げて、平社員から再び入社させてもらいました。

3年ぐらいで店長にまで戻ったのですが、やっぱり心には引っかかるところがあります。24歳の時に感じたものがもっと具体化してきたという形でしょうか。任せてもらえる範囲が広いので仕事は面白いですし、やりがいもあります。けど他のサラリーマンと比べても、昼夜逆転するような働き方だったので、このままだと結婚もできないし、結婚できたとしても子どもが生まれた時に一緒にいる時間を作ってあげられないと思うようになりました。



蒲田のお店は、独立支援会社でもあったので、独立を考えている人に対して引き留めとかはしない会社です。それで僕も30歳までに自分の店を持とうと目標を決めました。

ただ独立するには、開店資金も必要ですし、どういう業態で独立するのかなど先見の明もなければいけません。30歳に近づくにつれて、本当に自分にできるのか不安が大きくなっていきました。
そして、29歳になる3日前、目標の30歳までに独立はできないと判断し会社を辞め、第一綜合に入社しました。


なぜ第一綜合だったのでしょうか?飲食店との共通点はありますか?




飲食店からの転職先としては、確かにつながりはないですよね。ただ、飲食業界で生きてきて、働いている中でやりがいを感じるのは、たくさんの人と接して、その人たちが笑顔になることだと気づきました。だから、営業職は僕が求めている仕事だと思っていたんです。

第一綜合は上水道の工事をしている会社です。飲み水なので、一般の人のライフラインに直結していますし、誰もが必要とする仕事だと思ってここに入社しました。ただ、営業を希望しましたが、僕には商品の水の知識も工事の知識もありません。そのため、最初の1年は先輩について水道工事現場で勉強をしました。工事に携わったことなどもちろん全くなかったので、初めは本当に苦労しましたね。



水道工事が一通りできるようになってから、今度は営業の先輩に同行して営業の勉強です。営業をしている先輩は本当にカッコよくて、この人からいろんなことを学ぼうと先輩より早く来て、先輩が帰るまでは帰らないという生活を続けていました。

仕事をする上で苦労したことはありますか?
僕の場合は、畑違いの場所から来ているということもあって、専門用語を覚えるのが大変でした。上下水道に使用する水道管にも種類がありますし、工具の名前を覚えるのにも苦労しました。業界用語というのもあって、初めは本当に何を言っているのかわからない言葉が多かったですね。

あとは営業の仕事には、担当している地区内にあるマンションに行ってプレゼンをするというのがあります。プレゼン用の資料は、管理組合の方に説明したり、マンション住民のみなさんに説明したりという段階を踏み、マンションによっても新しく作り直したりしているので、パソコンを使えないとできません。これまでパソコンをそこまで使っていなかったので、この扱いには今でも苦労していますね。




では第一綜合での仕事のやりがいは何ですか?




それはやっぱり自分が提案していた工事を、マンションの住民に受け入れてもらえて受注できた時ですね。説明してきたことが通じたんだと思いますし、営業担当として行動してきたことが正しかったと思えます。

あとは、工事が終わった後にマンションの人に直接または管理会社を通して、工事をしてもらってすごく良かったと言ってもらえた時は、さらに嬉しいです。僕のしている仕事を、お客さんに本当の意味で認めてもらえたということですし、僕自身そういった工事ができる会社に対して誇りを感じます。この会社のために、もっともっと自分ができる事をしていきたいと思える瞬間です。

お客さんから「第一綜合さんだからお願いしたいんです」と言われる時も、信頼を勝ち取った気持ちになりますね。

僕は接客業が長かったので、お客さんとの会話にはとても自信があります。ホールマネージャーという立場で、店内にいるお客様のグラスの空き状況を確認しながら、ホールに立っているアルバイトたちに指示を出したりしていました。そういった経験が、マンションの総会でのプレゼンにも生きていると思っています。

総会に来ている人たちは、大体20~30名ほどですが、大型マンションだと70名ぐらいになることもあります。それだけ多くの人たちの前でプレゼンをするわけですが、その時に一人一人の住人の表情を見て声色を変えたり、抑揚を変えたり、プレゼンの説明時間の配分を変えています。周りを見ながら臨機応変な対応ができるのは、やはり接客業で鍛えられたからだと思うので、20代の頃の飲食店で働いた経験も役に立っていることも嬉しいですね。


今後の目標を教えてもらえますか?




僕自身の目標としては、これまで担当地区をもってプレイヤーとして働いてきたので、後輩に自分の担当地区を引き継いでもらって、僕は全体を見ていく立場になっていきたいと思っています。

僕が現在担当しているのが、神奈川県、西東京、静岡、大阪、兵庫、京都です。自分で決めた数字を守ろうという意識だと、どうしてもそれだけに集中をして周りを見ることができていません。だから、事業を安定させてから、担当エリアを若手に任せて広い視野でさらに売り上げを伸ばすためにはどうすればいいのかを考えていきたいです。

この会社に骨をうずめるつもりでいるので、会社を大きくしたいというのも僕の目標です。上場もしてほしいと思っていますし。



そのためには、エリア拡大も考えています。日本国内でもまだまだ攻める場所はありますし、日本国内が終わったら今度は海外進出もできたら、さらに仕事が面白くなると思うんです。
もちろんニーズがあればですけど。そのためには、現地調査も必要ですし、マーケット調査も必要です。

でもそうやって考えていくと、この会社でやりたいことがまだまだたくさんあって終わりが見えません。そんな風に思えるのは、この場所で働くことで毎日が充実している証拠ですよね。


では最後に、今回の求人にあたって一緒に働きたい方はどんな方ですか?




そうですね。営業をするなら人と接するのが好きなタイプですかね。やはり工事会社なので、管理会社の人や住民の方と話す機会がたくさんあります。どんな会話の流れにするかを考えながら話せることが問われる仕事ですね。



あとは向上心があって、言われたことをするだけではなく自分で仕事を探せる人は、吸収するスピードも速いと思います。僕みたいに未経験で入社をしても、すぐに追いつけるのではないでしょうか。

思ったことをすぐに口にするんじゃなくて、相手に伝わる言葉に置き換えてから話すことができるというのも重要なポイントだと思います。そういった人と、僕は一緒に仕事をしたいですね。